Art Project/美術企画

2014/08/01

ゴンサロ・ピニージャ Gonzalo Pinilla

ゴンサロ・ピニージャ版画販売カタログ(2014/09)pdf.
同価格表(2014/09)pdf.

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作家プロフィール

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せんたあ画廊(横浜市中区)の協力を得て、ゴンサロ・ピニージャ版画展を開催                           

ゴンサロ・ピニージャ版画展

会期 2014年8月5日(火)-14日(木)
    10:00-19:00

会場 せんたあ画廊
    神奈川県横浜市中区真砂町3-33 関内駅前・セルテ3階
    JR京浜東北・根岸線 関内駅北口改札より徒歩1分
       画廊ウェブサイト http://www.center-g.co.jp/

 南米コロンビア出身の版画家ゴンサロ・ピニージャ(1971年生れ)は、コロンビア国立大学版画・絵画課程を首席で修了した後、イタリアに留学しました。現在は、米国・アイオワ大学版画学科で助手をしながら、創作活動を行っています。

  ラテンアメリカ美術研究者の故・加藤薫氏はかつてピニージャについて、「人間の優しさの背後に潜む獣性、消費される対象としての動植物が人間の産みだしたモノを消費する倒錯、権勢の強さと裏腹の不安や脆弱さ、といった現実世界の多重性を暴き出している。やみくもに先端技術を追うのでなく、人間と社会や動植物との共生という古くて根源的な課題に地道に取り組んできた」と記しています。

作家プロフィール

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「カエル」 銅版画 40×27cm

■展覧会会場風景

2012/09/01

加藤薫写真展「骸骨の聖母 サンタ・ムエルテ」 Kaoru Kato: Santa Muerte

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©加藤薫/Kaoru Kato

加藤薫写真展 骸骨の聖母 サンタ・ムエルテ

会期 2012年9月25日(火)-10月5日(金)
    平日12:00-18:00/土日12:00-17:00
    休廊10月1日(月)

会場 ギャラリーカフェニモード [入場無料]
    東京都墨田区本所2-17-3 〒130-0004
    ℡ 03-3625-6860

企画 GaleriaLIBRO/ガレリアリブロ

協力 gallery café ni modo/ギャラリーカフェニモード

◆メキシコ美術研究者の加藤薫氏(神奈川大学教授)が、著作『骸骨の聖母 サンタ・ムエルテ』(2012年3月刊 新評論)執筆のため、メキシコ取材で撮影した写真92点を展示。

■ギャラリートーク
2012年9月29日(土) 15:00から
加藤 薫(メキシコ美術研究者、神奈川大学教授)
定員15名/無料

 現在、メキシコにおいて、推定信者数が300万人を超えている民間信仰と言えば、サンタ・ムエルテ(Santa Muerte スペイン語で“死の聖母”)と呼ばれている「骸骨の聖母」です。かつては犯罪者たちの秘教とされていたこの「骸骨の聖母」像が、街中の礼拝所や街路に溢れ出ています。サンタ・ムエルテが、一般市民の目に触れられるようになった理由として、サンタ・ムエルテを守護神にしていた麻薬犯罪者たちが、メキシコ政府の麻薬撲滅運動によって全国に分散したためとも、また、麻薬戦争で家族や知人の生命や財産を奪われた一般市民が、もはや既存の法律、モラル、伝統的宗教などには頼れないと思い、新たな魂の救済と加護を求めてサンタ・ムエルテ信仰に向かったとも言われています。

 「サンタ・ムエルテ」の図像表現は、民衆の日々の信仰活動の中で、次々と新たに考案され、残る図像があれば、忘れ去られる図像もありと、今まさに進行中で、その現場に立ち会う面白さがあります。しかも、プロの美術作家ではなく、無名の民衆たちの創意工夫であることも興味を引きます。正統な美術の世界とは無縁な民衆の大胆な発想は、世俗的な欲望と「死」を超越するような「生」の活力に満ちており、着せ替え人形やゴス・ファッションにも共通するところがあります。この「キモかわ」図像を信奉する心の底には何があるのでしょうか。またこういった図像を追っかけてきた撮影者の感性はどうなっているのでしょうか。

サンタ・ムエルテ豆知識「bits_of_knowledge_about_santa_muerte.pdf」をダウンロード

加藤 薫(かとう かおる)プロフィール
1949年生まれ。中南米・カリブ圏・ラティーノ美術研究者、評論家、神奈川大学教授。
国際基督教大学卒業後、ラス・アメリカス大学大学院芸術学部修了。1991年より現職。毎年アメリカ大陸を訪れ、美術の現地調査研究に従事するほか、各種美術展の企画やテレビ番組制作にも携わる。
主著に、『メキシコ美術紀行』(新潮社、1984)、『ラテンアメリカ美術史』(現代企画室、1987)、『ニューメキシコ 第四世界の多元文化』(新評論、1988)、 『キューバ☆現代美術の流れ』 (スカイドア、2002)、 『21世紀のアメリカ美術 チカーノ・アート』 (明石書店、2002)、『メキシコ壁画運動』(現代図書、2003)、『ディエゴ・リベラの生涯と壁画』(岩波書店、2011)、『骸骨の聖母サンタ・ムエルテ』(新評論、2012)など。


案内ハガキ(図版面・宛名面)
Photo

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案内チラシ(pdf)
プレスリリース(pdf)

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加藤薫著「骸骨の聖母サンタ・ムエルテ」
新評論 2012年3月刊
A5判並製/172頁+カラー口絵8頁
価格2,100円(税込)

2011/07/01

もうひとつの美術館/壁画プロジェクト Another Museum, Mural Project

《2011年第16回カナガワビエンナーレ国際児童画展の関連企画》

slate もうひとつの美術館~レクチャー付き映画会~

 絵画を介して自分と自分を取り巻く世界について考え始める子どもたちの姿を追うドキュメンタリー映像作品。美術館の入り口から入った子どもたちは、単なる美術鑑賞のステージから、やがて絵画作品との対話へのステージと進む。美術館を出た彼らはどのように変わっていくのだろうか。
 子どもたちが、神奈川県立近代美術館(神奈川県)と無言館(長野県)の展示作品と「対話」をすることで、学習の成果は、時間の経過の中で徐々に子どもの中でカタチを変えながら内面化されていく。子どもにとって美術作品を鑑賞することが大切なことであるならば、その曖昧さゆえに長い目で見守り、子どもの将来に残る実感を一つひとつ集めることも大切であると思われる。映画の企画制作に携わった高松先生(横浜国大付属鎌倉小学校)の話を交えながら、小学校時代に多くの時間を美術館で過ごした子どもたちのその後を、三本のドキュメンタリー映画で紹介します。

【上映映画】
ミュージアム・トリップ<鎌倉の立てる像たち・拝啓鬼様> (上映時間22分)
企画:稲庭彩和子・高松智行/監督:森内康博/制作:(株)らくだスタジオ
協力:国立情報学研究所/制作年:2009年
*ドイツ「ワールドメディアフェスティバル2011」ドキュメンタリー部門入賞

青い画布 (上映時間50分)
企画:高松智行/監督:森内康博/制作:(株)らくだスタジオ
協力:戦没画学生慰霊美術館無言館/制作年:2011年

【高松智行先生のプロフィール】
現在、横浜国立大学教育人間科学部附属鎌倉小学校教諭
□2006年〜2007年 
神奈川県立近代美術館を活用した鑑賞教育、「鑑賞を柱にした学級経営」
□2007年 戦没画学生慰霊美術館「無言館」を活用した鑑賞教育
□2009年 ドキュメンタリー映画「鎌倉の立てる像たち」「拝啓鬼様」「池の中のアーティスト」企画、アートプロジェクト「鎌倉なんとかナーレ2009」企画
□2010年 アートプロジェクト「鎌倉なんとかナーレ2010」企画
□2011年 ドキュメンタリー映画「15歳、無言館の体験」企画

日時 2011年7月24日(日)14:00〜15:40
会場 あーすぷらざ(神奈川県立かながわ地球市民プラザ) 映像ホール

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art 壁画制作プロジェクト ライブ!ウォールペインティング

 ウォールペイントアーティストとして知られているロコ・サトシさんと第16回カナガワビエンナーレ国際児童画展の受賞者と入選者たちとが一緒に描く「壁画制作プロジェクト」を開催します。

 本プロジェクトは、ロコ・サトシさんの協力のもと、子どもたちとプロのアーティストの力を合わせ、2日間で幅約6m、高さ90cmの壁画制作に挑戦するものです。制作の現場は一般公開し、来館者も制作過程を垣間見ることが可能です。第16回展に出品した児童たちにとって良い記念となるとともに、あーすぷらざの来館者にとっても、本館のラウンジがより一層くつろげる場となります。

 完成した壁画作品は7月26日(火)よりラウンジ(あーすぷらざ1階)に展示します。

【ロコ・サトシさんのプロフィール】
 1970年代後半、桜木町東横線高架下で不思議なシルエットの壁画を描き始め、現在ではウォールペイントの創始者として知られている。
 1989年、横浜博覧会で最大級のパビリオンをペイント、新本牧地区、みなとみらい21地区、横浜ポートサイド地区など、横浜のシティ・キャラクター を形成する重要な景観に作品を提供しました。1995年には市営バスのペイントが話題を呼んだ。 民間からも数多くの壁画などの依頼を受ける。
 1995年より彫刻の森美術館に作品を常設。渋谷同潤会アパートのイベント、表参道の大壁画を担当。 一方、1990年よりカリフォルニア州・サンディエゴ市に拠点を構え、その活動に対し、同市長より謝意宣言書の発布を受ける。ボブ・マレー生誕50周年記念コンサートでは平和賞受賞。その年のアートオブザイヤー・ベスト10に選ばれる。
 1999年に横浜市文化賞奨励賞、芸術部門賞受賞。作家活動と並行してさまざまなワークショップを行う。特に、街と学校と家庭とのつながりを深めるため、父兄、教職者、自治体などと話し合いを重ね、美術を通して子供たちの生活や学校の環境の改革に力を入れている。
 
日時 2011年7月17日(日),18日(月・祝日)10:00〜15:00
会場 あーすぷらざ(神奈川県立かながわ地球市民プラザ)
    17日:保育室 18日:ワークショップルーム
 第16回カナガワビエンナーレ国際児童画展開催のモニュメントとして、7月17日と18日の二日間にわたり制作が行われた壁画(縦0.9m×横7.2m)が完成しました。
同展の入選者・入賞者519名を代表して、21名の児童・生徒たちとウォールペイントアーティストのロコ・サトシさんが、人とのつながり、世界とのつながりをテーマにして、壁画制作にとりかかりました。
 壁画作品は16枚のパネルから構成され、一枚のパネルに二人の児童・生徒たちが、絵筆を走らせました。児童・生徒たちは初対面のため、二人同士の会話は少ないものの、お互いに目配せをしながら、共同作業に取り組みました。
ロコさんがあらかじめ引いた黒い輪郭線を下地に、子どもたちは様々な色を塗り重ねます。なかには、ロコさんの輪郭線を無視し、その線を塗りつぶす子どももいて、ロコさんは苦笑いをしていましたが、ロコさんは、「ここは学校の美術の時間ではないので、みんなが納得するまで描いて欲しい」と、絵を描く楽しさを子どもたちに伝えています。
地球上には、肌の色の違い、言語の違い、宗教の違いなどの様々の違いがあります。今回の壁画制作に参加した日本の子どもたちにも、表現の方法にそれぞれに個性の違いがありました。その個性の違いを「心の色」と例えて、「心の色」が違う子ども達が一緒になって、描き上げたのが今回の壁画です。壁画作品名「カラフル・ハートColorful Hearts」には、このような意味を含んでいます。
*現在、「カラフル・ハートColorful Hearts」は、あーすぷらざ1階のラウンジに展示しています。
作品名: カラフル・ハート Colorful Hearts
制作年: 2011年7月
作品サイズ: 縦0.9m×横7.2m
展示場所: あーすぷらざ(神奈川県立かながわ地球市民プラザ)1階 ラウンジ
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2010/06/02

戦争と美術 戦争と写真 War and Art, War and Photography

写真展「微笑を浮かべて」(2010年、横浜・あーすぷらざ)の関連企画

《戦争と美術》
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《戦争と写真》
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※写真展「微笑を浮かべて」
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2007/04/02

本をアートの傍らに Book beside Art

Book beside Art
本をアートの傍らに

死蔵して、陽に当たらない本や雑誌をアート作品の傍らに置きました。改めて装丁や活字を目に触れ、印刷インキの匂いを感じてみませんか。立体や平面の作品と美術雑誌(藝術新潮、版画藝術など)のバックナンバーや美術書籍を展示します。(作品及び書籍を販売もいたします。)

2007年5月19日(土)~27日(日)
イゼザキモール・コイチ
神奈川県横浜市中区伊勢佐木町2-62
11:00am-7:00pm 水曜休み
℡045-251-3856
企画協力:ガレリアリブロ

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いろで楽しむ現代マヤ Colourful Modern Maya

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いろで楽しむ現代マヤ
身近に置きたいメキシコ、グアテマラの織物・民族衣装
2007年4月19日(木)~5月6日(日)
11:00am-7:00pm(水曜日休廊)

イセザキモール・コイチ
神奈川県横浜市中区伊勢佐木町2-62

企画:ガレリアリブロ

現代マヤ人女性が着るウィピル(貫頭衣)には2000年を超す歴史があります。今日の衣装の原形ができあがったのは19世紀末と言われています。その悠久の「色と織」をお楽しみください。他に腰帯や肩掛けなどもご覧いただけます。

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2006/01/01

白井正二展 Shoji Shirai

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白井正二展 メキシコの息吹
2006年2月1日(水)-19日(日)
岩崎ミュージアム(横浜・中区)
ガレリアリブロ・岩崎ミュージアム共催

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白井正二/Shoji Shirai
プロフィール
1947年 千葉県船橋生まれ
1968/69年 国画会展、新制作展に出品
1971/72年 櫟画廊個展
1973年 スペインに渡る
1976年 帰国、櫟画廊個展
1978年 日動版画グランプリ銅版出品
1983年 メキシコに渡る
1986年 帰国、椿画廊個展
1994年 再度メキシコに渡り、メキシコ・シティ郊外にアトリエを構える。メキシコ人彫刻家エウロヒオ・ラミレスに師事し、木彫制作を始める。
日本、メキシコを往復しながら、制作を続ける。ギャラリー大橋、ギャラリーNike、 ミウラアーツ、岩崎ミュージアム、愚怜等で個展開催

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《水彩 Watercolor》
Shirai_shoji_yurugi_no_mori
万木(ゆるぎ)の杜
29×39cm
90,000円
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Shirai_shoji_kure_yuku
暮れ行く
29×39cm
90,000円
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Shirai_shoji_ichi_ban_boshi
一番星
29×39cm
参考作品
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Shirai_shoji_midori_no_ie
緑の家
27×37cm
90,000円
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Shirai_shoji_seibutsu_asa_yake
静物(朝焼け)
29×39cm
参考作品
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Shirai_shoji_ikutsukano_tabi_a
いつかの旅 A
29×39cm
90,000円
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Shirai_shoji_ikutsukano_tabi_b
いつかの旅 B
29×39cm
90,000円
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Shirai_shoji_ao_no_fukei
青の風景
30.5×53cm
参考作品
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Shirai_shoji_adobe_no_ie
アドベの家
27×37cm
90,000円
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Shirai_shoji_yu_sho
夕照
30×45cm
90,000円
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《木彫 Wooden Sculpture》
Shirai_shoji_azteca_no_hana
アステカの華
56cm(高さ)
150,000円
Shirai_shoji_azteca_no_hana_enlar_2

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Shirai_shoji_sabaku_no_tori_front
砂漠の鳥
29cm(高さ)
150,000円
Shirai_shoji_sabaku_no_tori_back

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Shirai_shoji_hatena_no_zou
ハテナの像
56cm(高さ)
150,000円
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Shirai_shoji_hanabi
花火
43cm(高さ)
100,000円

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Shirai_shoji_hana_nusutto
花盗人
56cm(高さ)
200,000円

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Shirai_shoji_mori_no_ki
森の木
51cm(高さ)
200,000円

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Shirai_shoji_una_paloma
Una Paloma
39cm(高さ)
参考作品
Shirai_shoji_una_paloma_back

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Shirai_shoji_saboten
サボテン
35cm(高さ)
80,000円

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Shirai_shoji_katachi_no_tsumiki
形の積木
58cm(高さ)
120,000円
Shirai_shoji_katachi_no_tsumiki_bac

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Shirai_shoji_azteca_no_hana_2
アステカの花
28cm(高さ)
参考作品

2005/09/01

屋須弘平展 ~写真と遺品が語るグアテマラ移住と望郷~ Juan José de Jesús Yas

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屋須弘平展 Juan José de Jesús Yas

 

~写真と遺品が語るグアテマラ移住と望郷~

<横浜国際写真フェスティバル> <日・中米交流年2005>

会 期: 2005年10月4日(火)~11月6日(日) 会期中無休
     
会 場: JICA(国際協力機構)横浜 2階展示スペース
      (併設:海外移住資料館)
      神奈川県横浜市中区新港2-3-1 ℡:045-663-3251(代)

交 通: 
東急東横線=みなとみらい線「みらとみらい駅」「馬車道駅」下車
各駅から徒歩10分
JR京浜東北線=根岸線・横浜市営地下鉄「桜木町駅」「関内駅」下車
各駅から徒歩15分

開場時間: 午前10時~午後6時/入場無料

企 画: ガレリアリブロ合資会社・岩手県藤沢町

後 援: JICA横浜・駐日グアテマラ共和国大使館

☆ 講演会「グアテマラに生きた写真家 屋須弘平

講 演: 飯沢耕太郎氏(写真評論家)
日 時: 2005年10月15日(土)午後2時~午後5時/入場無料
会 場: JICA横浜 4階会議室

参考 美術情報サイト「畫傳胤萃舎」での飯沢耕太郎氏のインタビュー記事

【本展について】

 日本人の南米移民が始まってから130年余りが経ち、この間日本とラテンアメリカ諸国との間では、経済を中心に文化や人の交流が続いています。「移民」という言葉は、日本の経済活路を見いだすための国策としてのイメージがあります。しかし、その「移民」の歴史も変遷を重ね、10年程前にはブラジルやペルー等から「移民」の子孫たちが日本に逆「移民」をしてくる状況が起こり、現在では定住化が進みコミュニティを形成するほどになりました。日本からの「移民」や、日本への「移民」に、移住者たちの泣き笑いが当然あります。時代は、そのひとりひとりの泣き笑いを飲み込むように流れています。

 屋須弘平(1846-1917年)は、幕末から明治へと移り変わる時代の流れのなか、故郷の岩手県藤沢町を離れ、1874年横浜で金星観測を行ったメキシコ科学調査隊との出会いがきっかけで、メキシコへ渡り、そして終の棲家となったグアテマラで写真館を開きました。その屋須弘平の写真作品とその遺品を紹介することで、130年という時間の中でラテンアメリカの土塊となって忘れ去られた移住者の足跡を21世紀に繋げたいと考えます。

【写真作品と遺品】

 昨年4月グアテマラから岩手県藤沢町に屋須弘平の遺品136点(手記、日用品、書類、書籍、写真機材、金属板写真、ネガなど)が戻ってきました。また別に、紙焼き写真を20点を取得。本展では写真作品、金属板写真、写真機材、手記、日用品等を合わせて約100点を展示します。

 屋須弘平自ら描いた書割を前にした民族服姿のグアテマラ人たちのスタジオ写真、計算された構図で捉えた建築写真、改宗したキリスト教をテーマにした写真、天使の像に抱かれた死んだ幼子の写真などの作品を残しています。

 屋須弘平は、日本の写真創成期の写真家達(上野彦馬や下岡蓮杖ら)とは無縁に、グアテマラで写真術を習得しています。横浜で下岡蓮杖が写真館を開いたのは1862年。屋須弘平が、グアテマラに開業したのはそれより遅れること18年後の1880年でした。偶然にも、この二人はキリスト教の洗礼を受けています。ちなみにフェリックス・ベアトは、横浜に写真スタジオ「ベアト・アンド・ワーグマン」を1863年に開業しています。

【横浜の金星観測とグアテマラの写真館主】

 地球、金星、太陽と一直線に並ぶ天体現象を金星日面通過という。この天体ショーが日本で観測されたのは、1874年(明治7年)12月9日(日本時間)であった。この年にフランス、アメリカ、メキシコから金星科学観測隊が来日し、フランス隊は長崎と神戸、アメリカ隊は長崎、そしてメキシコ隊は横浜でそれぞれ観測を行なった。現在各地に、金星観測を記念する石碑が建立されており、横浜には、JR・横浜市営地下鉄桜木町駅を降りて、紅葉坂の途中にある神奈川県立音楽堂や同図書館が立ち並ぶ敷地の一角に「金星太陽西経過観測記念碑」と刻まれた石碑が建っている。この金星観測がある日本人を遙かなるグアテマラの地へ向かわせたのだった。

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§ 横浜へ メキシコ金星観測隊との出会い

 メキシコの科学観測隊は、明治政府にスペイン語通訳士を求めた。そして抜擢されたのは元仙台藩士の屋須弘平という人物であった。

 屋須弘平は、蘭学医の長男として1846年(弘化3年)に仙台藩藤沢(現在の岩手県東磐井郡藤沢町)で生まれた。幼年期に父親から蘭学を学び始め、17歳の時、叔父が開業医をしている江戸で蘭学医の修行を受けている。

 徳川幕府が終焉を迎え、新しい時代の到来が間近な頃に、屋須弘平は西洋医学を求めて、横浜のフランス人医師の語学塾に通い、医学・天文学の他に、フランス語、スペイン語までも修得した。

 屋須弘平の姿が時々歴史の波間に見え隠れすることがある。それは、戊辰戦争(1868年、明治元年)の時であった。開国論の佐幕派に付いた仙台藩は密議を図り、攘夷思想の勤皇派の薩摩長州を迎え撃つためには外国兵力の応援が必要だと考えた。メキシコをその交渉相手国とし、スペイン語通訳を屋須弘平に任そうとしたことがあった。この密議は実現には至らなかったが、屋須弘平は奥羽北陸諸藩から成る奥羽同盟のなかで貴重な人物となった。

 1871年(明治4年)、屋須は横浜の仏蘭西語伝習所に入る。1873年(明治6年)に屋須の切望していた海外渡航許可がようやく外務省より下りた。

 そして翌年1874年(明治7年)に本文冒頭のメキシコ金星科学観測隊との劇的な出会いがあった。観測隊の通訳として採用された屋須弘平は、金星観測の手伝いから天文学に対する興味に引かれた。観測隊長のディアス・コバルビアスにメキシコで天文学研究をしたいので、観測が終わったら自分を一緒に連れていって欲しいと懇願した。ディアス・コバルビアスは彼の願いを喜んで承知した。

§ メキシコからグアテマラへ

 屋須は、1875年(明治8年)2月2日横浜港を出航。ヨーロッパを経由して、メキシコ・ベラクルス港まで約10ヶ月近い旅だった。屋須弘平は、無論官費留学者ではなく、自力で海外留学を実現したのであるが、当時の官費留学者(明治3年以降)でも佐幕派として戊辰戦争を戦った東北・奥羽出身はいなかった。

11月16日メキシコ・ベラクルス港に入港。屋須弘平は当時のメキシコ・シティーを次のように書き残している。

 「人口二十万、大小ノ街路ガ交差シ、建物美ワシク、万民賑ヤカニ店ヲ並ベ、実ニ共和国第一ノ都会ノ地ト言ウベシ。中央ニ大統領ノ居城アリ、学校アリ、美麗ノ大寺数多アリ、ソカロ等ノ逍遥ノ地アリ。年中花アリ、草木落葉セズシテ常ニ青シ」

 ディアス・コバルビアスの家に寄宿しながら、専門高校の国立予科学校で留学生活を送っていたが、1876年12月23日ポルフィリオ・ディアスのクーデターによってレルド・デ・テハダ大統領が失脚した。この政変で親代わりのディアス・コバルビアスはグアテマラ駐在公使に更迭された。屋須はディアス・コバルビアスの左遷で勉学を中途にして、彼の家族と共にグアテマラに行かざるを得なくなった。

§ 写真館開業

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 グアテマラに移ってから、ディアス・コバルビアスの生活には余裕が無くなり、屋須の面倒を見るどころではなかった。屋須は日本に帰るしかないと考え、旅費作りのための仕事を探した。彼が見つけたのは公使館前の外国人が経営する写真館での助手だった。科学に明るかった屋須はすぐに写真技術を覚え、朝早くから夜遅くまで働いた。バリオス大統領夫妻の肖像写真の仕事がきて、店は繁盛した。そして、屋須の技量もあがり、給料で貯めた金で写真機や機材を購入し、念願の自分の写真館をクリスト街に開く。商才があったのであろうか、焼き増ししたバリオス大統領の肖像写真を軍隊に大量に販売したのが当って繁盛したのだった。さらに機材類を買い足して南八番街に二階建てのスタジオに引っ越したあともなお、グアテマラ大司教の肖像写真を撮るなど、屋須の名はますます知られることとなる。

 帰国の旅費をつくる為、写真館の仕事をした屋須弘平であったが、このころグアテマラと最期まで繋がれる基となる洗礼を彼は受ける。彼は洗礼前から、サンタ・クララ教会のミサに参列したりミサを手伝ったりしていた。その姿をみた神父は彼に洗礼を薦めたが、まだ充分に教義を学んでいないという理由で辞退をしている。毎夜キリスト教の書物を開いて勉強したのち、屋須は洗礼を受けたのだった。洗礼名は「フアン・ホセ・デ・ヘスス・ヤス」。彼のスペイン語習熟にはこのキリスト教の勉強が役に立ったと言われている。

§ 帰郷 そして再びグアテマラへ

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 1889年(明治22年)5月15日、日本へ帰る日が訪れた。メキシコのサン・ホセ港を立ち、アカプルコ、サンフランシスコ、ホノルル(当時既に七千人の日系契約移民がいた)を経て、6月30日横浜に着いた。14年ぶりの帰国だった。屋須弘平は42歳をむかえていた。故郷の岩手県藤沢に向かい(鉄道は仙台まで敷かれていた)、八十歳の母親と姪のタマキを東京に連れてきた(父親は既に死去)。そして築地の教会近くで、グアテマラで成功した写真館を再開し、3人の平穏な生活を始める。

 しかし、再び屋須をラテンアメリカに向かわせる運命が待っていた。当時農商務省特許局長の高橋是清(後に岩手から国会議員となり首相になる)が、ペルーの銀山経営会社「日秘鉱業株式会社」に屋須弘平を参加させようと考えていた。高橋は、同じ仙台藩出身である屋須弘平のメキシコ、グアテマラでの経験を知って、彼をスペイン語通訳官として抜擢したのだった。

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 屋須は母親を残して行くには忍びなかったが、フランス人修道尼に母親を預け、帰国後半年も経たぬ11月16日、横浜港から高橋や鉱山技師らとともにペルーに向かった。しかしペルーの鉱山は既に掘り尽くされてしまった廃鉱だということが分かり、高橋と鉱山技師は先に帰国してしまう。残された日本人鉱夫たちを屋須は安全に日本に帰させる仕事を負わされてしまった。「殖産興業」に流行って、早計で傲慢な山師的気分で突っ走った指導者のいる日本に屋須は驚きを感じたという。

§ 終の棲家グアテマラ

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 屋須は日本人鉱夫たちを送り返したあと、自分の日本への帰国を逡巡した。結局、グアテマラに残りもう一度写真館を開くことを決心する。しかし、金を稼げたら、帰国するつもりだった屋須は、二度と日本の土を踏むことは無かった。

 そのグアテマラでは「忘れ得ぬ友、日本人屋須が帰ってきた」と友人たちは彼を温かく迎えてくれた。1891年11月26日に屋須はグアテマラ人女性マリアと結婚。カトリックの世界でのこの結婚は、屋須にようやく安住の棲家となる場所を見つけさせてくれた。

 1895年にアンティグアに移り住む。何度かの引っ越しを繰り返すが写真館は続けた。1916年病に倒れ、1917年死亡。享年72歳。養子の写真家ホセ・ドミンゴ・ノリエガが屋須の死顔を写真にして残している。

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 屋須弘平の写真作品には、遠近法に忠実な建築写真、様々なテーマで演出を凝らしたスタジオ写真、実験的な合成写真、子供の死者の写真などが残されている。写真原板約900枚がグアテマラ・アンティグアのメソアメリカ研究所にノリエガの作品と共に収蔵されている。

参考文献
小山卓也著「遙かなる北の青春」(河北新報社 1981年)
寺田和夫著「アンデス一人歩き」(日本経済新聞社 1977年)他

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 屋須弘平と養子のホセ・ドミンゴ・ノリエガの写真集 「ラ・アンティグア・グアテマラ」
La Antigua Guatemala
J.J.Yas-J.D.Noriega 1880-196069頁 1990年 図版54点 23×25cm
バイリンガルテキスト:スペイン語・英語
La Azotea刊(アルゼンチン・ブエノスアイレス)

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 スペイン語で書かれた屋須弘平の手記

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グアテマラの写真家「屋須弘平の手記」
~波瀾万丈の生涯~
(屋須弘平が残したスペイン語手記の翻訳)

92頁 2004年 B6判 1200円(絶版)

翻訳:小坂亜矢子
編集:藤沢町文化振興課
発行:藤沢町文化振興協会

2006年第7回藤沢町民劇
屋須弘平物語 「さくら」
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チラシ表  チラシ裏
藤沢町広報誌

2009年岩手県藤沢町民劇場 横浜公演
屋須弘平物語「さくら」

毎年、東北をテーマにした町民劇を公演している藤沢町の町民劇の県外公演。

【公演日】2009年1月31日
【会場】横浜にぎわい座 (横浜市中区野毛町3丁目110番1号)

詳細はチラシpdfをご覧下さい。

2003/06/02

チカーノ・アート展 Chicano Art Exhibition

チカーノ・アート展
会 期:2003年6月25日~7月13日
後 援:メキシコ大使館
協 力:加藤薫/Music Camp, Inc.
企 画:ガレリアリブロ/岩崎ミュージアム
会 場:岩崎ミュージアム
神奈川県横浜市中区山手町254

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 米国には多くのマイノリティ社会が存在し、「チカーノ」と一般的に呼ばれるメキシコ系アメリカ人社会はその一つである。ラテン音楽やエスニック料理を通じてラティーノ文化の香を最近の日本人は体感していますが、見えているようでまだ見えていない「チカーノ」を美術面から捉えようと、多民族・多文化の共生するアメリカ美術業界において、新しいトレンドを生み出す重要なパワーとなっている「チカーノ・アート」を紹介。
 
 メキシコ系アメリカ人であるチカーノが半分以上占めるラティーノは、米国社会に影響を与えている。米国大統領選挙での彼等の投票行動への注目ぶり、商品開発に彼等の価値観、嗜好の採用などが挙げられ、チカーノ・アートも21世紀の米国社会の動向を示す指針のひとつとして考えられている。変化する米国の社会、文化、美術を真剣に見つめていこうとすれば、日本におけるステレオタイプのアメリカ現代美術の見方や分析の方法では不十分であることを、チカーノ・アートの動向を目の当たりにすれば感じざるを得ない。

「チカーノ・アート展」によせて 加藤薫

 近の国勢調査結果に拠ると、米国のラティーノ人口はついに3700万人を超えたようだ。これは人口約3620万人のアフリカ系アメリカ人を抜いて、米国人口の約13%以上を占める最大のマイノリティー集団となったことを意味する。とはいえ、人口増に比して政治的、社会的発言力が急速に高まっているというわけでもない。

 「ティ-ノ」とは米国籍を持つラテンアメリカ出身者のことで、キューバ系、プエルト・リコ系、それにメキシコ系が三大集団となっている。中でもメキシコ系アメリカ人の占める割合は大きく、約2100万人となっている。「チカーノ」とはこのメキシコ系アメリカ人の中でも、自らをアストラン(注)の子孫だというアイデンテイティーを強く持つ人たちである。米国内に住むメキシコ系住民としては、他にメキシコ国籍を持つ合法的滞在者(約1400万人)と非合法的滞在者(推定約350万人)がいて、チカーノの二軍的存在となっている。さらに付け加えれば、同じくメキシコ系ながらも植民地時代に新大陸に移植されてきたスペイン的文化伝統継承者であることを強調してスパニッシュ・アメリカ人と自認する人々が約90万人ほどいる。

 カーノの自意識は、1960年代に盛んとなった黒人や先住民インディアンの公民権獲得運動と連帯する過程で形成されてきた。このチカーノ運動と共に誕生したチカーノ・アートは、従って一見素朴画風の表象を持つような作品でも反アングロ色の強い社会的メッセージや政治的主張を込めているものが多い。チカーノ・アートは、社会のマイノリティーという逆境を克服するタフでパワフル、それでいてユーモアや風刺の精神に満ちたアートであり、根拠のない偏見を持つ人々を皮肉っている。もちろんまだ多数派であるアングロ系アメリカ人やその文化に対する抵抗の意思だけでなく、コロニアやバリオと呼ばれるチカーノ・コミュニティー内の矛盾や、社会の弱者一般に共通する教育や福祉の問題、さらには人類共通の課題である環境汚染や生態系の破壊問題などにも眼を向ける。この意味でチカーノ・アートは極めて21世紀的なアートとも言える。

 カーノ・アートは長らく反体制的サブカルチャー現象という扱いだった。つまり全米に数多ある美術館やギャラリーといったメインストリームの美術品展示システムからは無視され排除されてきたということだ。そのためチカーノ・アートは壁画やグラフィティ、そして複製可能な版画やポスターというマスメディア的特性を持つ表現手段から出発せざるをえなかった。美術の文脈で言えば、ゲリラ的なパブリック・アートとしてしかスタートを切れなかったということだ。ロサンジェルスやサンフランシスコ、サンタフェ、シカゴなど大都市だけで数千点はある巨大で過激かつ重層的な意味と象徴記号にあふれた壁画こそチカーノ・アートの真髄であり、それはかつて国際的現代美術シーンに衝撃を与えたメキシコ壁画運動の精神を継承し、復活させたものでもある。そしてポスターや版画は建造物やコミュニティーといったトポロジカルな制約がない分だけ、より自由なかつ廉価な表現媒体としてより広範囲に拡まった。

 展はチカーノ・アートのポスター、版画などの作品によって構成される。小規模ながらもおそらく日本で「チカーノ・アート」の作品群という形でまとめて紹介されるのは初めてのことであろう。1980年代制作の作品が多いが、この時期にチカーノ・アートがようやく社会全体に認められ始め、扱う主題や表現方法が急激に多様化した。1970年代に大都市に住むチカーノの若者の間で発生した「チョロ」ファッションを記号化したフアン・フエンテス作≪チョロ・ライブ≫、そのチョロ文化に先行して1930年代に発生した「パチューコ」文化の象徴であるズート・スーツを着た当時の若者(ズートスーター)の生態を演劇に、そして映画化も果たしたルイス・バルデスのポスターなどからは日本のサブカルチャー・ファッションのルーツを見ることができる。強烈な政治的メッセージを放つヨランダ・ロペスのポスター≪誰が不法入国者だって、清教徒のことではないのか?≫はステレオタイプの米国史観の再考を促す。ミカエル・アメスクアの作品≪トチ≫やアルフレド・アレギン作の≪歓喜≫などはアストランというルーツを共有する先住民インディアンとの連帯の意識や、共通する自然との共生意識などが読み取れる。ささやかな本展を通じて、チカーノ・アートの主張や表現の多様性を感じとっていただければ幸いである。

(かとう かおる:中南米・カリブ圏・ラティーノ美術研究者、神奈川大学教授)

(注) 「アストラン」とはかつてアステカ帝国を築いたメシーカ人はじめ、現在はメキシコと米国に分断された全ての先住民の発祥の地として語られる場所、およびその地の出身者の子孫全てを指す概念。未だ考古学的な確証はないが、もし実在するとすれば米国サウスウエスト諸州南部にあったとされる。国境を越えてメキシコ系住民を再統合するネイション概念としても使われる。(加藤薫の著作はこちら

 

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2002/01/01

加藤薫著「キューバ☆現代美術の流れ」 Kaoru Kato: Artes Plásticas de Cuba

カリブから熱い波が押し寄せる

キューバ美術研究必携の書!

先住民時代から20世紀現代までのキューバ文化がわかる美術通史

 キューバ革命以後の世代に影響を与えたウイフレド・ラムを始めとする、現在、日本や欧米で活躍するキューバ美術作家百余名を紹介。
 スペインの征服によって先住民文化の消滅という悲劇に見舞われたキューバ。かかるアイデンティティー喪失感から、いかに回復し、真に自発的、内発的美術の創造と表現を求めるに至ったか…。先住民時代から二十世紀現代まで、キューバ美術の歴史過程を追う本邦初の試み。

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キューバ☆現代美術の流れ
著者 加藤 薫
発行 プロモ・アルテ ギャラリー/ギャラリーGAN
編集 ガレリアリブロ
協力 駐日キューバ大使館
発売 スカイドア

2002年
四六判(A5)並製 332頁
カラー口絵16頁 22点
モノクロ図版約120点
ISBN 978-4915879524

定価3000円(税込み)送料別

【内容】

口絵/図版/地図
カリブ海からやってきたキューバ美術の熱い波(村上龍)

Ⅰ 先住民時代の美術 最初のキューバ人
無土器文化の形成とシボネイ
土器文化の到来とタノイ
Ⅱ 植民地時代の美術 植民地事業の概略
植民地キューバの特色(砂糖;アフリカ奴隷;城塞建築と世俗的社会)
植民地時代の絵画(16、17世紀のキューバ絵画;18世紀のキューバ絵画;アカデミア・デ・サン・アレハンドロ創設と19世紀絵画;19世紀後半の在野の美術作家たち)
Ⅲ 21世紀キューバ美術の流れ 概略
20世紀の幕開け:1900~1920年代前半まで
前衛の第一世代:1920~1930年代 モダニズム第一の波
前衛の第二世代:1940~1950年代 モダニズム第二の波
Ⅳ 革命期のキューバ美術 前衛の第三世代 あるいはキューバ革命の激動期を担った最初の世代
キューバ革命期に育った最初の世代とグラフィック・アート作家たち
Ⅴ キューバ美術の国際化 「ボルメンⅠ」以降のキューバ現代美術
21世紀に向かって
もう一つのキューバ 国外のキューバ人美術作家たち
ハバナ・ビエンナーレについて
あとがき/参考文献/索引

加藤薫のほかの著作物

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    スペイン国際ブックフェアLIBER マドリッドとバルセロナで交互に開催される。
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