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2016/07/24

Miguel COVARRUBIAS: Pageant of the Pacific ミゲル・コバルビアス《太平洋のページェント》

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洋才書魂 163

ミゲル・コバルビアス
《太平洋のページェント》(金門橋万国博覧会のテーマ)
リトグラフセット作品

地図4点 リトグラフ 630 X 960 mm
地図2点 リトグラフ 480 x 630 mm
12ページのパンフレット 
オリジナルポートフォリオ
パシフィック・ハウス(サンフランシスコ)、1940年
価格等はお問い合わせください。

 ミゲル・コバルビアス(メキシコ、1904-1957)が、金門橋万国博覧会(1939年と1940年に開催)のパシフィック・ハウスのために制作した6点の壁画地図のリトグラフ作品(初版)。

 各サイズ4.5×7.3メートルの4点の大きな地図は、万博会場のメインホールを飾った。それぞれのタイトルは、《太平洋の人々》、《太平洋の動植物》、《太平洋地域の芸術形式》、《太平洋の経済》。ほか2点の小さなサイズ(2.7×3.9メートル)はメインエントランスを飾り、タイトルは《地域の交通手段》と《地域の住居》である。リトグラフ作品はオリジナルの色彩豊かな描写に忠実に再現している。ミゲル・コバルビアスが、壁画制作の注文を受けた時、彼は優れたアーティストであり、注目を浴び始めた文化人類学者でもあった。アートと文化人類学の両分野から得られたものを基に、壁画地図の描写は生き生きとし刺激的で情報豊かな作品が導き出された。

 ミゲル・コバルビアスは、1904年11月22日にメキシコ・シティで生まれる。14歳で国立プレパラトリー・スクールを卒業後、素描、諷刺画の制作に打ち込む。メキシコ公教育省から出版された教材用イラストを制作している。10代で通信省でも働いている。

 1924年19歳の時、その秀でた才能を認められ、メキシコ政府奨学金を得てニューヨークに移住するが、英語はあまり堪能ではなかったという。メキシコの詩人ホセ・フアン・タブラダ(1871-1945)とニューヨーク・タイムズの音楽評論家でありアート写真家のカール・ヴァン・ヴェクテン(1880-1964)が、コバルビアスをニューヨークの文芸・文化誌《The Smart Set》の幹部に引き合わせた。コバルビアスはいくつかの高級誌に作品を提供し、ついに《ヴァニティ・フェア》のトップ風刺画家のひとりとなる。

 コバルビアスは演劇の舞台デザインや衣装を手がけている。キャロライン・ダッドリー・リーガンがジョゼフィン・ベーカーを起用しパリで大ヒットした《黒人レヴュー》(シャンゼリゼ劇場)、《アンドロクレスと獅子》、ロサ・ロランド(カルフォルニア生まれ、舞踏家・振付師))が主役を演じたレヴュー《ランチョ・メヒカーノ》(ガーリック・ガイティ)などの舞台デザインがある。

 コバルビアスとロサ・ロランド(1895-1970)は恋に落ち、1920年代後半、メキシコ、ヨーロッパ、アフリカ、カリブ海に二人で旅を行った。ロサ・ロランドは、アメリカ人の父、メキシコ系アメリカ人の母を持ち、カルフォルニアで生まれた舞踏家・振付師である。

 メキシコ滞在中に、ロサとミゲルは、ティナ・モドッティとエドワード・スタイケンと共にメキシコ国内を旅している。スタイケンは、ロサに写真を教えている。ロサは、ミゲルの家族やディエゴ・リベラを含めた様々な友人たちを紹介され、リベラとはロサの終生の友となる。

 コバルビアスの諷刺画などの作品は、《ニューヨーカーマガジン》や《ヴァニティ・フェア》から注目された。彼の描画スタイルである線形性は、アル・ハーシュフェルドなどの他の風刺画家たちに強い影響を与えた。初の諷刺画の作品集《プリンス・オブ・ウェールズと著名なアメリカン人たち》(1925年刊)は好評を得た。本書に登場する著名なアメリカン人たちをミゲルは鋭く的確に捉えていた。

 コバルビアスはハーレム・ジャズの虜となり、しばしばロサやユージン・オニール(ノーベル文学賞受賞の劇作家)、ニコラス・マーレイ(ニューヨーク滞在中のフリーダ・カーロを撮影した写真家)などの友人たちを誘って、ハーレム・ジャズを聴きに行っている。ゾラ・ニール・ハーストン(小説家、民俗学者、文化人類学者)、ラングストン・ヒューズ(詩人、社会活動家、小説家、劇作家、コラムニスト)、W.C.ハンディ(ブルースの父として知られた作曲家)などの著名な黒人たちがミゲルの友人として数えられている。ミゲルは彼らをイラストにした本を出している。ミゲルが描くジャズ・クラブの戯画は、《ヴァニティ・フェア》に最初に登場した。ミゲルは、《Negro Drawings》(1927年刊)と同じぐらいの高い質で、ハーレム・ルネッサンスの精神を作品にしよと努めた。ミゲルはこれらの戯画を描くなどとは考えてみなかったが、彼が愛した人々、音楽、文化を真剣に描いた。

 コバルビアスは、ザ・リミテッド・エディションズ・クラブの創業者で出版人のジョージ・マーシーのために、同社から出版された《アンクル・トムの小屋》、《緑の館》、ハーマン・メルヴィルの処女作《タイピー》、パール・バックの《水滸伝》などの挿絵を描いている。ザ・リミテッド・エディションズ・クラブの姉妹会社のヘリテージプレスからは、無署名版を再版している。さらに、アルフレッド&チャールズ・ボニ社刊の《フランキーとジョニー》の挿絵を、この原作者の若いライターのために制作した。コバルビアスと、後に映画監督となるこの若きライターのジョン・ヒューストンとはその後友人として付き合うことになる。今日では、これらの刊行物はコレクターから垂涎の的となっている。コバルビアスは、オーストリア人アーティストのヴォルフガング・パーレンが創刊したシュルレアリストアートマガジン《DYN》に1942年から44年まで制作協力を行っている。コバルビアスは、広告、絵画、イラストレーションの作品で、国際的に認められ、ヨーロッパ、メキシコ、米国などの画廊での個展を開催している。スターンウェイ&サンズのピアノ広告のために描いたカラー作品で1929年ナショナル・アート・ディレクター賞を受賞する。

 コバルビアスは、メソアメリカの先コロンビア美術の研究でも知られている。特にオルメカ文明の研究や、北に広がったメキシコ文化(特にミシシッピーのネイティブアメリカインディアンの文化)についての理論を展開している。図像学についての彼の分析では、オルメカ文明は古典期より以前に存在していたことを強く主張している。後の考古学研究で、この主張は確認された。美術の枠をこえて文化人類学に対する関心は、コバルビアスが住む南北アメリカ両大陸にまで及んだ。コバルビアスは、ドローイング、絵画、執筆物、そして戯画・諷刺画を通じて、外国文化に対する認識を共有してきた。

 金門橋万国博覧会(サンフランシスコ)が、サンフランシスコのトレジャーアイランドで1939年と1940年に開催される。二つの都市の間に新たに架けられた橋梁を祝うイベントであった。コバルビアスは、この万博のために、アジア大陸とアメリカ大陸の豊かさを地理的に表現しようと、6点の壁画地図を制作した。地図は、ニトロセルロース(硝酸繊維素、硝化綿)の基板に、シンナーに溶いたラッカーを塗るという、その当時としては画期的な技法を使って、制作された。この技法によって輝きのある仕上がりと半永久的な耐久性と防水性を得られる。

 メキシコではほかにも3点の壁画地図を制作している。そのうちの2点は、メキシコ・シティのホテル・デル・プラドにあり、メキシコの天然資源と歴史的価値のある地域が描かれている。残りの1点は、メキシコシティにあるコルプス・クリスティ元聖堂にあり、同作品は、ミチョアカンにあるサン・アグスティン元聖堂を芸術民衆産業美術館(1938年にラサロ・カルデナス大統領がミチョアカンの先住民族の工芸品の経済的美術的価値を高めるため、聖堂を美術館することを提唱)のために1951年に制作された。 コバルビアスの壁画作品は、ミチョアカンのホテルリッツにある《ソチミルコの日曜日午後》、《人生の贈り物》(テキサス、ダラスのスチュアートビルヂング)などがある。

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