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2016/03/14

屋須弘平と宮川香山 出会いは?

 現在、開催中の「屋須弘平-グアテマラ140年のロマン」展(あーすぷらざ)と「没後100年 宮川香山」展(サントリー美術館)のそれぞれの展覧会の主人公たちにいくつかの共通点があることに気が付いた。

 まずは生誕年と没年は、屋須弘平は1846年生まれ(現・岩手県一関市藤沢町出身)、没年は1917年。宮川香山は1842年生まれ(現・京都市東山区出身)、没年は1916年で、ともに幕末、明治、大正を生き抜いた同世代の二人だ。

 二人はそれぞれの父親の職業から強い影響をうけたり、もしくはその職業を継いでいる。屋須弘平は蘭学者の父親からオランダ語を学び、海外への強い関心を持つようになった。宮川香山は、陶芸家の父親から製陶を学び、家業を継いだ。

 この二人はともに明治初期に文明開化で華やぐ町横浜に出てきている。屋須は1868年(明治元年)、香山は1870年(明治3年)に。

 屋須は横浜にあった横浜仏蘭西語伝習所(横浜市中区本町に所在)に通い、フランス語を学ぶ。1874年に横浜の野毛山(現・横浜市中区老松町)と山手(現・横浜市中区山手町)で金星太陽面通過観測を行ったメキシコからの科学調査隊と出会い、彼は翌年メキシコに帰国する観測隊とともにメキシコに向かった。その後、グアテマラに移り、写真館を開業し、写真家となり、同地で没する。

 香山は、1870年にまず野毛山(現・横浜市中区老松町)で窯を開き、翌年、太田村不二山下(現・横浜市南区庚台)に窯を移し、本格的に輸出陶磁器の制作を開始した。「横浜眞葛焼」として横浜で知られ、先の大戦末期の横浜大空襲によって窯(三代香山)が焼失するまで続いた。

 おのおの、写真家として、陶芸家として、海外では高い評価を受けていた。

 明治初期の横浜は、現在のように横浜市18区に広がっていたわけではなく、現在の関内や桜木町などの中心部およびその周辺でしか大勢の人々の往来がなかった思うので、この二人どこかですれ違っていたかも.....。

屋須弘平-グアテマラ140年のロマン
http://galerialibro-art.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/140-c715.html

没後100年 宮川香山
http://galerialibro.air-nifty.com/blog/2016/03/100-miyagawa-ko.html

 

 

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