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2012/02/25

マチュピチュ「発見」100年 インカ帝国展 

会期 2012年3月10日(土)~6月24日(日)
会場 国立科学博物館 (東京・上野公園内)
    〒110-8718 東京都台東区上野公園7-20

Inca_1


Inca_2

展示構成

《プロローグ》
インカ帝国は、15世紀前半から16世紀前半にかけて繁栄したアンデス文明最後の国家。
アンデス文明史上、最大の領土を持ち、北はコロンビア、エクアドル国境地帯から、
南はチリ中部にまで勢力を伸ばした。
インカとは太陽(インティ)の子という意味で、本来はインカの王のことを指し、
インカ民族は、自分たちの国を「タワンティンスーユ(4つの部分)」と呼んだ。
13代の王がいたと伝えられるが、実在が推定できるのは第9代王パチャクティからである。
最後の皇帝アタワルパがスペイン人征服者に捕えられ処刑されたことにより、大国家としてのインカは滅亡した…。

本展覧会は、インカの王や信仰に始まり、人々、文化、彼らの帝国、
そしてスペインによる征服後にそれらがこうむった変化に的を絞って展示を構成しています。
インカの文化はアンデスという比類ないほど複雑でダイナミックで厳しい自然環境の中で生まれ育ち、その環境とひとつに溶け合って大帝国を急激に築き上げました。
彼らはどうやってそれを成し遂げたのか…
その秘密を、この展覧会を通じて感じてください。

《第1部 帝国の始まりとその本質》
インカ王は太陽王の息子として神聖な存在とされ、世界を照らす生命の根源であった。
最後の皇帝アタワルパがスペイン人に捕われた時、
大勢のお供を引き連れて輿に乗っていたのは、神秘的な力を持つ神聖王の足が地面につけば、
大きな災いが引き起こされると信じ考えられていたからだといわれている。
また、インカ王には作物の実りを護る力があるとされ、
豊かな農業に必要である順調な天候や水を保つ力を持つとされた。
目をやるだけでたちどころに岩が形をなして段々畑(アンデネス)が作り出されたとも伝えられる。
地方からインカ王の世話をするために送り込まれたアクリャと呼ばれる女性たちは、
王の衣服や太陽神にささげられる布を作るなどの奉仕をした。
インカ帝国は近代以前の旧大陸の国家と同様、農業を基盤とした経済を持ち、
たとえば、実験農場とも言われるモライ遺跡でもわかるように、自然と調和した雄大な自然改造をこころみた。
インカ王とは、巨大国家の政治機構と宗教・自然という2つの力を生きながらにして束ねた神聖王だった。

ここではインカ王と彼が統治した国家がどのようなものであったかを、さまざまな遺物を使って探求していきます。

《第2部 帝国の統治》
インカ帝国はパチャクティ王の時代以降、急速に領土を拡大した。
ペルー北海岸の覇者チムー王国と1470年頃に激突し勝利したことで、アンデスでの覇権を打ち立てた。
その後、北海岸での統治は、チムー時代の制度をそのままにして、インカが即位を認めたチムー王にまかせた。
一方、鉱山資源を得るための遠征をした現代のチリにあたる地域には、北海岸のように利用できる強力な国家や官僚制がなかったため、税として得た食料・衣服などの物資を国家が管理して流通させていたという。その統治原理は、互酬と再分配に基づいていたと説明されることが多い。
このようにペルー北海岸やチリの実情を見ると、インカ帝国には統一した制度がなく、地方の実情に合わせて行政を組み立てていた。その結果、複数の制度が並び立つという、モザイク状国家であったらしい。また、こうした南北に長くさまざまな制度を併せ持つ帝国を統治するために「インカ道(カパック・ニャン)」と呼ばれる道路網が利用された。
ローマ街道をもしのぐというインカ道の要所には、タンボ(宿駅)がもうけられ、税として徴収した豊かな物資を納める倉庫や行政センターが置かれた。さらに王の命令は、キープを持ったチャスキ(飛脚)がタンボを中継して走り、各地に伝えられた。

ここでは、謎多く解明半ばのインカ帝国の統治システムについて考えます。

《第3部 滅びるインカ、よみがえるインカ》
国家としてのインカは、1533年のスペイン人による「最後の皇帝」アタワルパの処刑をもって終わるとされるが、その後もインカの人々は主に3つの方法で、抵抗と自己主張をする。
武力を行使した抵抗としては、スペイン人が擁立した傀儡王マンコ・カパックが首都クスコから逃れてアンデス山中ビルカバンバに立てこもった例が有名だ。
この「新インカ帝国」の抵抗運動も、1572年には、最後の王トゥパック・アマルが捕えられ終息する。
一方、首都クスコに残ったインカ貴族は、スペイン人と妥協しながら、彼らの法律や制度を学び、自分たちの権利と尊厳を主張した。これは、スペイン人にとってもインカから奪い取った広大な土地・資源・人を管理するのに、インカの権威を利用できるのは願ってもないことだった。
そして最後に、民衆の想像力のなかに忍び込むインカの姿である。
アタワルパの処刑から250年の時を経て、ホセ・ガブリエル・コンドルカンキはインカ皇帝トゥパク・アマル(2世)を称し、民衆のインカ復活の熱望を組織した大反乱をおこした。しかしながら、スペイン支配を終わらせることはできなかった。
この反乱の鎮圧以降も、インカという過去への幻想は、歴史の伏流水となり、再び世に出ることを人々は夢見るのであった。

ここでは、植民地期にインカのイメージがどのように生き残り、植民地統治に影響を与えていったかを考察します。

《第4部 マチュピチュへの旅》
「突然、目の前に廃墟が現れた。あたりは樹木や苔で覆われ、はじめはよく見えなかったが、それは、世界でもっとも美しい石壁だった。」
ハイラム・ビンガム「失われたインカの都市」より-

1911年7月24日米国人探検家ハイラム・ビンガムは、マチュピチュを「発見」した時のことをこう記している。
謎に満ちたマチュピチュが「発見」されたことで、インカ帝国の名は世界に瞬く間に広がった。
空中都市とも称されるマチュピチュは一体誰が何のために建設したのか?
インカ王の宮殿だったのか…スペイン人と戦う最後の砦だったのか…
今なお、神秘のベールをかぶったマチュピチュは魅了的な遺跡である。
2008年に発掘されたばかりのマチュピチュの遺物からは、500年前の人々の息吹が伝わってくる。

遺物を読み解くことにより、文字を持つことがなかったインカ帝国が持つ多くの謎を解く鍵がマチュピチュにあるのかもしれない。

ここでは、マチュピチュから最近発掘された遺物から、マチュピチュに住んでいた人々の生活の様子を見る。

*巡回予定会場
仙台市博物館 2012年7月6日(金)~9月9日(日)
山梨県立考古博物館 2012年9月18日(火)~11月14日 (水)(予定)
静岡県立美術館 2012年11月27日(火)~2013年1月27日(日)

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